石川直樹『ぼくの道具』

 探検家、写真家である著者が、愛用の道具を紹介したもの。もちろん所有欲を刺激されるのだけれども、それ以上に憧れを醸成する働きがあるように思う。

ぼくの道具

ぼくの道具

 

類似の書に、高橋大輔『命を救った道具たち』がある。 

命を救った道具たち

命を救った道具たち

 

こちらのほうがやや「探検」的な色彩が濃いように思う。エピソードの紹介もそうだし、その道具をどこで使ったのか、ということが地図からわかるようになっている。 

共通点は、どちらの著者も愛用の靴としてダナーライトを紹介していること。

 

もうひとつ。『ぼくの道具』の中で、それなりの分量をさいて極地でのトイレのことが書かれている。それを読んで、みなもと太郎風雲児たち』に、大黒屋光太夫がロシアを移動中、馬車から尻だけ出して素早く用を足す、というシーンがあったことを思い出した。用を足すことも自由にできない、というのは、苛酷さをリアルに想像させるきっかけになるな、と思った。

桜井俊彰『消えたイングランド王国』

 

消えたイングランド王国 (集英社新書)

消えたイングランド王国 (集英社新書)

 

UKの人たちはどうやらフランスが一番自分たちに「近い」と感じているらしいのだけれど、この本を読んで、その理由がやっとわかった。冒頭で、イギリスの外相の台詞をひいて、イギリス人たちが「自分たちの国がフランスによって作られた」と考えていることが紹介される。その理由は、1066年のノルマン・コンクエストが現代英国史のはじめとされているからなのだそうだ。こうした事例を聞くと、やっぱり歴史を勉強するのは意味があるよな、と感じます。

 
メモ:イングランドに入ってきた民族は、古い順からケルトアングロサクソン、デーン、ノルマン。

梅原大吾『1日ひとつだけ、強くなる』

 

 色んな分野の人が、勝負に勝つ方法や心がまえを説く本を、僕は勝手に勝負論と呼んでいるのだけれど、その中でも、羽生善治さんと並んで、「強い人の考え方だな」と感じるのがこの本の著者のウメハラさんの考え方です。現代の双璧だと思います(がもちろん網羅しているわけではないので自信はないです)。

 
この二人の考え方のどこが似ているのだろうか、と考えると、ウェットなものを勝負から切り離して、どこか突き放したような雰囲気を感じさせるところと、短期ではなく長期的な勝敗(かそれを超えたなにか)を求めているところでしょうか(実際に、この本にも「大局観」という言葉が出てくる)。それから長期間続けることを意識していることもか(ここは考えていけばもっと言語かできるポイントのような気がする)。
 
本書の最後のほうに、「自分の判断に責任を持つ」という表現が出てくるのですが、もしかすると、彼の一種突き放したような雰囲気は、こうした「責任を持つ」という態度から生じているのかもしれない、と思いました。「他人のせいにする」「環境のせいにする」ことをどれだけ減らせるか、に挑戦しているようにも思える彼の姿勢は、人間らしさをそぎ落としていっているように思える部分もあり、しかし同時に、人間らしさ、人間の素晴らしさのもう一方の極に位置しているようにも思えます。
 
変わって、大局観の話。本書のなかで、細分化された状況の総和として最終的な勝敗を捉えるのではない、という話が出てきます。勝利に向けた各状況の重みは実は等価ではないので、細かな状況での最適化が必ずしも大域的な最適化と一致するわけではない、ということだと思います。きちんと理解できているかどうか自信はないけれど、実は「ベイビーステップ」が今これを一番理解可能なかたちで描いている物語だと思います。この中では、ある場面でのリスクを負ったチャレンジが、たとえ失敗しても後々の布石として生きてくる、というシーンが何度も出てきます。「リスク」という言葉が繰り返し出てくるのも似てますね。同じことを描いている、という仮定のもとでですが、経験知を伝えるうえでの物語の有効さを感じます。「あ、あのことか!」と思いますから。

しかしタイトルがとても良いです。修練の積み重ねというか、功夫を感じさせるというか。実際のところ、武術の達人の思考にふれたような気持ちになる一冊でした。